ひろこの自由研究

まいにち、は自由研究の積み重ね。楽しい日々を過ごすための研究結果の発表場所としてのブログ。

急病時に確実に席を譲ってもらう方法(世の中殺伐…居合わせた私も何もできず。)

(わりとあり得る通勤時のできごと)

先週の通勤電車にて。

わたしの隣に立っている女性の挙動がおかしい。…具合悪そう。

…半分気にしつつ、な、わたし。決して無関心では無いです。わたしが彼女の前に座ってたら席譲ります…

と、突然しゃがみ込んだ…わたしを含めたしゃがみ込んだ女性の周りの人が一瞬ざわっとな感じ(声には出さないけれども)になる。

が、わたしを含めた誰もが「大丈夫ですか?」と声をかけることはなかった。

…自分自身も残念なことに、無関心じゃないけど、なにもできない。な状態である。

今思うに「集合的無知」という影響力がおそらくここには介在したと思う。

(とっさな状況、どういう状況かがわからない場合、見知らぬ人が集まっている場所のもとでは、誰かがなんとかしてくれるでしょう。とみんなが思ってしまう。というやつ)

たぶん誰かが声かけてくれるでしょう。たぶん誰かが席譲ってくれるでしょう。

人間関係の薄さ、赤の他人との距離をあんまりもちたくない等々。な要素。

「誰か席譲ってあげてよ…」と恐らく周囲の人が思いつつも、誰も口には出さないモヤモヤ。あるいは「わたし譲ります。」の勇気あるひとこと。も。

 

 (状況打破)

この状況を打破したのは、

しゃがみ込んでしまった女性が目の前の座席に座っている人に対して、自分から「席代わってください。」とお願いして、前に座っていた人が席を譲ってあげていた。

本当に立っていられないほど具合悪い。という状況を具体的にわかってもらうには具体的に目の前の座席に座っていた人に対して、お願いするしか方法はないのか…と思った瞬間であった。

周りの誰もが思っていた、確かに誰か助けてくれるでしょう。の誰か。は曖昧だ。

この曖昧さから抜けだすために。具体的に目の前に座っている人に助けてほしい。と伝えたことによりなんとか席を譲ってもらえた形…

 

いざ自分がそうなったら、具体的に目の前の人に席譲ってください。と言えるのか?

その前に「大丈夫ですか?」の声かけくらい出来ないのか?残念すぎるわたし。

と、紋々と考えた朝だった。