捨て変態ことゆるりまいさんのご著書を図書館で借りてきたので読んできた。
最近のマイブームの断捨離熱を絶やさないための心に刺さる一文を求めて図書館で借りてみた。
本自体はかわいいイラストの漫画で構成されており、ミニマリストの方々のご著書にある活字主体の禅な雰囲気なキリっとした背筋伸ばして読まねば。的な感じじゃなく、ゆるっと楽しく面白い表現で自己の断捨離経験をつづっている感じ。
その1はまだ読んでないのだけれども、(貸し出し中だったので予約した)ネットでちらと検索すると仙台市にお住まいで自宅(自称汚屋敷)が3.11で被災し、あふれ出るモノが落下し凶器化。でも大事なモノは見つからず的経験を経て、避難所生活、そして今の新居に移るにあたり「モノのない生活」を始めたみたい。
それだけの経験を経た人のモノのない生活。ってのは「極み... 」のひとこと。
以下刺さった部分を。
捨てるを極めると捨てるモノがなくなる。でも捨てたい、さあどうする?
断捨離桃源郷後迎える新たなお悩みらしい。
(わたしはそこまでは至ってない。まだまだ捨てるモノはある。)
捨てるモノがなくなってしまってもまだ捨てたい場合の対処法…
「保管スペースを狭くする。そうすると保管できるものが限られてて来るからしまいきれないモノが出てきて、不要なものが淘汰される。」具体的には棚を小さくするとか、らしい。
個人的に使えるな。と思ったのは、
「鞄もちっちゃいのに替えてみると、本当に必要なモノだけ持って出かけられますよ。」というところ。
ううむ…先日自分の会社必須品は「社員証、パスモ、家の鍵」ということだけはわかったのだが、その後の鞄は「汚かばん」とまではいかないけれども一日何も使わなかったかも~なんてものが結構あることもわかってきた。会社カバンの中身セレクトを今一度進めたし。である。(カード類は使わないものは戻したが、コンタクトの予備とかは相変わらず持ち歩いている…)
「クローゼットのハンガーを減らすと洋服も厳選される。」というところ。
一か月くらいクリーニング屋に出して取りに行きそびれた真冬の洋服やらコートが一気に家に戻ってきた。この前敢行した冬服断捨離で、しまったり、吊るすスペースはスカスカなのだけどハンガーが微妙に足りない…
クリーニング屋の針金やプラスチックハンガーにかけて洋服に変な跡みたいなのがついちゃう。で新しいハンガー買わねば。という発想ではなく、今あるハンガーで頑張ってみたい…
捨てのK点越え
表現が面白すぎる…スキーのジャンプでよくいう「K点越え」っていうやつですよ。
その高いところを超えてどこまでも。ってやつです。
ゆるりまいさんの捨てのK点越え、は「卒業アルバム」だったそうだ。
卒業アルバムを処分してから思い出品の処分は割と進んだっぽい。
ただし、思い出品は「今見返しても元気になれるモノは取っておこう」なんだそうだ。
わたしのK点越えはなんだろか?
…実はわたしの思い出品(年賀状とか)は紙袋に入れて目に入らないところにごそっとしまってある。これもK点越え目指さねば。
…目に入るところではミスチル関連CDやらDVD…
採算度外視…聖域扱い、本棚でもA代表ポジションにいるのであるが…(椅子に座ってすぐに取り出してDVDを取り出し、セットすればすぐに視聴できる状態)
ここ半年以上DVDを見た記憶がない…CDもipodに入っているものを聞いてるのみでCD本体を取り出してにニンマリするとか歌詞カード見るとかは全くしてない。
これが超えられたらなんでも捨てられる間違いないK点越え…
…当面一番とっかかりやすいK点越えアイテムが、「写真の画像データ」…
時間ができたら(いつか使うかも、とほぼ同じ意味だと改めて思う)フォトブックにしようかな~秘境の小笠原とか厳冬真冬の北海道…とか思いつつ、日々どんどんたまっていく写真データのハードディスクの中身…まあ捨てられないんだな…見直さないのはわかってるんだけど…(取りこんだ瞬間に見直すのがお約束であります。ホントは。)
一年まるごとごそっと処分(それこそまだ写真本格的にやっていないコンデジ時代のものごか)したら超K点越えではなかろうかと。
一応細々とJPEGのデータを処分して、RAWのデータだけ残す、みたいな断捨離はしているのだけれども全く追いついていない。
(そもそもわたしは写真撮るときにJPEGとRAWを両方撮ってるけど、これ自体に意味があるのか的な疑問も最近わく…)
↓本
↓即K点越えしないと、ハードディスク一杯になりまっせ・・・の真っ赤かなパソコンの中身。