わたしがうんざりするなあ。と思うことに、
・やることが多すぎる。
・休むほどではないが、体調が微妙に悪い。
というのがある。最近は「やることが多すぎる。」がうんざり要因。しかもこのやることが多すぎる。というののモトの元凶はほとんど自分にある。
要はやることを減らせばいい。
部屋のお片付けやら断捨離に夢中になるのも、この「やることの要素のひとつであるいわゆる家事や掃除を減らしたい。」というのが根底にある。
そんななか、先日読んだ「ボクたちにもうモノは必要ない(佐々木典士さん著)」の本を読んだときに出てきた「沼畑直樹さん」という著者さんのことが書かれていたので沼畑さんの著書である「最小限主義。」を読んで思った事などを。
よくあるミニマリズム本にはモノを捨てましょう。捨てたらスッキリ人生変わります的なことが書いてあるのだけれども、この本はそのスッキリ人生が変わります。がかなり身近なことを例にあげて書かれていてフムフムと読み進めてしまった。
以下心に刺さった事を。
わたしは割と音に鈍感である。食洗器が回って音がしていても、隣の部屋でテレビがついていても、朝5時くらいからタイマーセットした洗濯機がガラガラ活動を初めても、すぐ寝れるし、全く起きたりはしない。
夫はわりと気になるタイプらしく、「音なんとかならないの?(具体的な例として食洗器と洗濯機を稼働する時間を考えてくれ的リクエスト)」と言われたことがある。
今までは「じゃ、代わりに食洗器回したり、洗濯してくれるんだったらいいですけど…」と半ギレでわたしの主張を通し、食洗器は夜寝るまえから活動を開始し、洗濯機も早朝から活動をさせていたのであった…
沼畑さんは2歳のお嬢さんを夜寝かし付けるときにいかにリビングから聞こえる生活音(テレビ、歩く音もろもろ)が大きいかを気付き、ご自身も生活音に気を付けるようになったという。
音を立てない生活、は難しいけれども、音に対してもっと敏感になろうと思ったのだった。
…食洗器はもっと早い時間に回し、洗濯は朝起きてから回して、干すとか。もっと早く帰って、もう少し早寝早起きをすればどっちもできそうな雰囲気である。
食のミニマリズム。
粗食を心がけるってことじゃなくて、食文化の多国籍化を控えると胃に負担がかからないのでは。ということが著書で述べられていた。
朝…ハムエッグとパン(洋風)
昼…パスタ(イタリアン)
夜…カレー(インド風)
なんて多国籍なことをやっていると胃が疲れてしまうんではないか。ということみたい。 (上記例は非常に残念ではあるが、最近の週の前半のわたしの食生活であります…作り置きカレーやらハヤシライスを多用…)
最近はなんかわたしも思い当たる節がある…
要は食べ過ぎなんじゃなかろうか?それも多国籍に…
せめて家では和食中心にしようと思ったのであった。
仕舞いのミニマリズム。
「キッチンを朝イチの状態と帰ってきたときの状態にイコールに保つのは相当の気遣いが必要だ。モノ捨てには終わりはあるけれども、キッチン仕事は毎日何かを出して、何かを洗って、何かをしまうの繰り返し。」というもの。
朝…卵を焼いたフライパン、コーヒー淹れたときのポットとフィルタに残った豆、マグカップ、ヨーグルト食べた小鉢、スプーン、ジャムとバターを塗ったナイフとか…テーブルの上にはパン屑とか…
文章になおすといろんなものが出てくる。なんか家に帰って朝ごはんの片づけをやってから夕食の支度をするのがちょっとやだなあ。とふと思い、以後毎朝、食洗器に入ってる洗い終わった前日の食器類をすべて元あったところに朝戻して、家出る前に朝使ったものを全て食洗器に入れて回してテーブルも拭いてからから家を出るようにした。
家に帰ってからのうんざりな気分がちょっとしたことで解消である…