…刺激的なタイトルの本である…ネットとの付き合い方(=わたしの場合だと単に時間の使い過ぎ)を振り返る良いきっかけになった本について書いてみる。
きっかけ
5月になって仕事内容が今までやった事がなかったことを担当することになり、いろいろ慣れないこと、覚えるべきことが増えてきた。
会社に行って帰って…の毎日である。それ以外何もする気が起こらん…ネットもする気が起こらん…という中、7月に控えるミスチルのライブのネタバレを一切ネットで見ない。という試みをして見事に成功…
成功の最大要素は「ネットを見る時間もなく、閲覧する気が全くおこらない。」それだけであり自らを制約を課したわけでもない。
ところが、その後仕事にもだいぶ慣れ、働き方改革残業禁止令とやらでわりと早く家に帰れることも多くなり、ダラっと自宅インターネット。寝ット(寝ながらスマホいじり)…以前の状態にも戻りつつあり、これじゃいかんね。と思い本を読んでみた。
私の理想…
・インターネットは情報収集、情報伝達(コミュニケーション)のみで使いたい。暇つぶしのテレビ的利用はしない。
残念すぎるわたしの現実…
・途中でやめられない。インターネットに期待しすぎ。(ある一つのことを調べて、イマイチ検索結果だとどんどんズボズボ沼にはまって収拾がつかなくなる)テレビは番組見なければいいけど、ネットは検索ずぼすぼ。
・SNSは閲覧し始めると際限なく見てしまう。
刺さったところその1
「ネットにより人々の思考、生き方が多様化したわけではない。ニュースはヤフートピックで知り、皆が同じリンクをたどる。」
「情報検索も上位に上がったものを皆が見る。」
「つまり、ネットは人々を多様化させるのではなく、より均一化されていく。」
…辛辣な一文…いろんなものを検索し、100パーセント満足、ではないけれども、まあまあアリかな。な情報を得る。ということが日々あるけれども、わたしはそれを「ああ便利だねえ」「いい情報みつけた。」という良い部分のみとらえていたのだが、便利さの追求は良しとして、わたしが見つけたことは他の人もとっくに見つけているじゃん…なことを今更この本より知る。
刺さったとことその2(血まみれ…)
「暇人はせっせと情報アップ。忙しい人はそのアップされた情報を活用する。」
…この文章が一番刺さり、わたしを血まみれにした。
自らの体験だと今年の3月、4月、会社が移転する前で千鳥ヶ淵から至近の場所にオフィスがあって、毎日朝晩と千鳥ヶ淵ストーカーをして、桜の開花状況をブログにアップしていた。
今年は桜の開花宣言から満開まで割と時間がかかったこともあり、普段じゃありえないアクセス数が集まり、「皆が知りたい情報をブログにアップするってのはこういうことなんだ。」と前向きに思ったのだが、ブログにアップするために撮る写真がだんだんと作品的要素(美しさ追及)から記録的要素(いわゆる図鑑的な説明追及)を重視したものになってしまったことに途中気づいた。撮っている写真が自分のためのものというよりブログネタのためのものになってしまっている。
…誰かの役に立つということはいいこと。今までもこれからもブログ書いたりするときはそういう観点で書くことには間違いない。だけど、自分がやってることはなんのため?を今一度考えたいと思ったのであった。ブログ書く自分の時間、ブログを読んでくださる方々の時間、双方の時間を最大化するためにはどうすればいいんでしょ?である。
情報を提供する与える立場、情報を享受する与えられる立場、このふたつをバランス保ちたい。
情報もらいっぱなし、ではなくお役立ち情報を提供する側にもなりたいのである。
Read for aciton…
「何か知ってるじゃなくって、何かやってる」というのがより毎日を充実させるんじゃないかなあ。と最近思う。
で、本を読んでいざ実践…
「便利さは最大に享受する」
「閲覧することアップすることに一生懸命になりすぎない。」
具体的施策としては、
「ネット閲覧は目的持って、時間決めて。23時以降は厳禁」
…毎年の新年の誓いとしてここ数年掲げておりますが、全く実践できておりません。
が、この本を読んでちょっと、実践する気にもなったのであった。