宮崎アニメの次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」ということを最近知る。
(アニメの内容がこの本の内容と被るかはまだ発表されてないけど)
先週のめざましテレビでこの本の漫画版が紹介されていて、帰りに最寄り駅の書店で見かけたときは漫画はラップ包みされていて山積み。中身確認ができず、文庫本もラスト1冊だった。そのラスト一冊を購入して読んだ。
…一気読みしてしまった。一気読みするにはもったいないくらい深い話沢山。
ねたバレにならない程度の読書感想文を。主人公のコぺル君はおそらく中学生くらいを想定。
人間の成長過程に関する新たな表現
…恐らくこの本を読んでまずはじめにビビっとくるのがこの表現だと思う。まるっと表現すると、
「子供の頃は誰もが天動説的な(世界の中心は自分。地球の周りを太陽が回っているんだよ)考え方をしている。が、大人になると地動説的な考え方に変わってくる。(世界の中心は自分じゃない。太陽の周りを地球が回っているんだよ。)」
「でも、大人になっても自分中心主義から抜け出せない人はたくさんいる。」
…主人公のコぺル君、は地動説の「コペルニクス」が由来である。
消費者、生産者、ふたつの立場。
この本はコぺル君の叔父さん(コペル君のお父さんは亡くなってしまい父親代わりに面倒を見てくれている人)がコペル君が思った事、発見したことに対して、ノートに答えらしきもの(考え方)を記述していく。という形で話が進む。
例えばセーターを買ってくる。そして着用する。いわゆる消費という立場。この消費が行われる前提には、
セーターは羊毛からできていて、その羊毛を紡ぐ人がいて、その前には羊を育てる人がいて…という生産する。という立場の人もいる。
コペル君の今の人生の時点は「消費者」の立場でしかないけれども、今のこの中学生な君でも何かを生産しているはずだから、それを考えてみてくれ。と叔父さんは言う。
(本にもこの答えらしきものは書かれてない。)
…わたしなりのまるっと感想だと「生産するものは有形なモノだけじゃなく無形のモノもあるはず。毎日頑張って知識を付けること、それを叔父さんに話して…とやって立派な人間になっていくのが生産していることなんじゃないかな」と思ったのであった。
先ほどのセーターの話をさらに深く突き詰めると、そもそも地球上に羊はどうやって生まれたのかねえ…等々なるとこまでつながっていく。人間はちっちゃい分子のカタマリなんですよ…羊も分子のカタマリ。分子のカタマリで地球上は構成されているけれども、人間にしかできないあることがある。(まるっというと考えること、感じること、みたいな。)
続く…