トム・ハンクス、エマ・ワトソンが主演で今映画館で公開されている映画「ザ・サークル」の原作本を読んだのでそのことを。(映画は観てないです。)
ひとこと感想文…SNSホラー文学…こういう世の中になったら怖すぎる…
本の概要
Facebook Twitter を足したようなSNS企業である「サークル」という会社へ就職した「メイ」という主人公が、なんでもかんでもつながり、を求められ(例:親の看病を理由に会社のイベントに欠席すれば、イベント欠席した事実よりも、病気に関する社内SNSコミュニティがあるのに、なぜそこに相談しないのか?みたいなことをまず注意されるとか、健康保険制度で病気の親の面倒をみてもらうためにはライブカメラを付けることが条件だったり(医療向上に役立てるという名目だが、実際はプライバシーのぞきまくり、会社では仕事で使うパソコンのモニター、上司からの指令が来るチャットみたいなの専用モニター、社内SNSのタイムラインが全て流れてくるモニターの3つに囲まれる生活、)
段々疲れつつも、段々ハマっていき社内SNSでいいねしまくり、コメントしまくるとどんどんランキングみたいなのが上がる仕組みになっていて、どんどんランキングが上がる自分が快感…社内での地位も上がっていく。
そして、社内SNSのみならず、一般開放されているSNSにもドンドンはまっていき、最終的には本人もカメラつけて自分の私生活を全てお見せして、いいねをもらいまくり、いいねが来ないと失望する…
みたいな話で、このサークルという企業の頭文字の「C」の右側の空いている空間を埋めて、全世界を完全な丸(=サークル)にするってのがこの会社の社是っぽいのだが…
(いち民間企業が経営するSNSにアカウントを開設すると、そこを入り口にして、選挙も出来て、銀行の口座作れて等々一瞬便利っぽいが、お互いの全てが透明人間になった状態にも同時になってしまうのである。日常ではあちこちに監視カメラみたいなのが設置されている世界、ネット上では常にいいねをしまくらないと、嫉妬されるとか。嫉妬するとか。いち民間企業がそこまでいろいろ握ってよいんだろうか。とか。)
「秘密は嘘つきのはじまり」「分かち合いは思いやり」「プライバシーは盗まれる」ということが正当化されていくのである…公と個の境目もなくなってしまうのである。
で、彼女のモト彼がこのSNS企業に入社した彼女のことを心配に思っていろいろ言ってくれるのだが、全く耳を貸そうとはしない。
そのモト彼のひとことひとこと、が実に辛辣なのである…(本のなかではモト彼からの忠告は当然スルーされており、モト彼とのやりとりはネット上で中継され、最終的にはモト彼も悲惨なことになってしまう…)
モト彼の辛辣なひとこととか。
「ポテトチップを丸ごと一袋食べると自己嫌悪に陥る。自分のためになることをしなかった。って。あれと同じ。ネットにどっぷりなのは。エネルギーを使い果たしてしぼんでしまった感じ。」
「ジャンクフードの開発は塩分と油分をどのように配合すれば、やめられないとまらない、になるかを科学的に決定づけて開発しているんだよ。おなか減ってないのにやめられない、なんのためにもならないのにやめられない、あなたの会社が今しようとしているのはそういうことなんだ。ネットにどっぷりになるのをやめられないことを計算しつくしているんだ。」
「一日何時間も座って、いいねの件数を競い、でもその件数なんて一週間もすれば忘れられる。実在しない数字なんだよ。あなたが生きたという証拠は何も残らない。」
「オフスクリーンでここ何か月かあなたは何かをしたのか。」
等々なかなか辛辣である…
これらモト彼に対する彼女の反応というのが、
「わたしは可視化されていたい。見られていたい。認められたい。」
コワすぎる…
思い出したこと…
この小説を読んで思ったのが、数年前にあった木曽御岳山の噴火。
亡くなった方の相当数が「スマホ片手に亡くなっていた。」という事実。
…山の噴火という究極のネタを撮影したい…である。
恐らく撮影したものを誰かに見せたい、という思いもあったと思われる。
写真撮らないで逃げたら助かったかも。である…
いくら究極の写真撮れても、死んだらおしまいなのだ…スマホで誰かのために見せる写真撮っていて死ぬなんてわたしは絶対イヤだと思ったのだった。
思うこと…
誰にでもあるであろう「承認欲求」の究極の形がこの小説にはちりばめられているのだが、ネットのほかにも楽しいことは世の中たくさんあるはず。自分ひとりでニヤけることができる楽しみは沢山あるはず…
読後は気持ちがゆたかになる。という小説ではないのだけれども、(わたしは単にコワすぎ、気持ち悪すぎ。という感想しかないのだが)ネット、SNSとのおつきあいの仕方を考え直すきっかけにはなった。
小説のなかで見出した唯一の良いこと。
とはいえ、このようななんでもSNS投稿、監視社会での唯一いいこと。もあると思った。
それはいつでも、自分の洋服、メイク、振る舞いに気を遣うようになる。(これは小説のなかの主人公もそういっていた)
いつどこかで中居君やミスチルの桜井さんに会うかも、できちんとしなきゃ。とかアホ過ぎる妄想にふけるのでなく、現実世界はいつどこで誰に会うかわからんのよ。いつでもきちんとしなければ、という教訓も得た小説であった。