ひろこの自由研究

まいにち、は自由研究の積み重ね。楽しい日々を過ごすための研究結果の発表場所としてのブログ。

勝間塾2018年5月月例会視聴記2

4月より再参戦している勝間和代さんのオンライン・オフラインサロンの「勝間塾」の2018年5月の月例会のWEB視聴記の続き。

その1↓生き金・死に金、地位財・非地位財

勝間塾2018年5月月例会視聴記1 - ひろこの自由研究

その2↓

思考を深くする。

なにかにお金を投じた際に生き金に投じたつもりが、結果的には失敗…あるいは、ついデキゴコロでまさかの死に金に資金を投じてしまった…なんてことはよくあることである。

が、ここで、ああしくじり先生…とため息をつくのではなく、

なぜにそうなってしまったのか?と過去を振り返り、今後はこうしよう。と未来に向かう、ということを繰り返すことが大事である。という話があった。

…わたしの閻魔帳の価値ある支出、価値無支出のメモによれば、最近の価値無支出はちっちゃいところで、サーモスボトルを家に忘れたことによるテイクアウトコーヒーの購入。というものがあるのだけれども、これも

何故にそうなったのか?朝慌てて家を出ること自体に起因。

テイクアウトコーヒー買ってどうなったのか?味イマイチ、ぬるくなってしまった。結局一杯じゃ収まらずもう一杯。カフェインの摂取量という面でもよろしくない。

今後どうしたいのか?朝慌てない。

…まあこんなコーヒーのボトル家に置き忘れただけでも真面目に因果関係を分析するといろいろなネタが浮かぶものである。

 

お金を投じることに関する「意思コスト」

一定額の貯蓄をノー意思コストで行ったら(いわゆる天引きで貯蓄)次はなにかにお金を投じる。が、節約しなきゃ。失敗したくない。という意志コストが効きすぎて、本来なら買ってもOKなものを買わなかったり、はよくない。なる話があった。

買う前に大いに考え、調べても結果的に失敗もおおいにアリなのである。買わなきゃわからないこともたくさんある。

百発百中を狙って考えすぎない。

投資が浪費になることを恐れない。

 

最近のわたしは、「ホントに必要?」「ホントに欲しいの?」「ホントに気に入ったの?」というのが買い物の軸なのであるが、この掟に則ると大抵のものを買うのになかなか踏ん切りがつかなくなる、考えすぎるとむしろ緊縮したちっちゃい世界で不便な世界でしか生きられなくなってしまう。

去年の夏、お気に入りの扇子を日産スタジアムミスチルライブにて)に落としてきたわたし。

最近はその代替品を探しているのだが、これまたなかなか決まらない。暑くなるまでになんとかしたいのだが、それに近しいものはネットで見つけたり、実店舗で見かけるのだけれども、購入には至らない。

ちなみに購入における意思決定のための重要要素は、

「扇子の生地が布であること(紙はダメ)」

「匂いがついているのもダメ(わりと扇子はほのかな昔風な匂いがするものが多い。特に紙製)」

…まあこれだけのことなのだが、これらの条件を二つの条件をいい感じに満たすものが今のところ無く、なかなか決まらない。柄はオーケーだけど、材質がダメとか。悩んでいるうちに夏到来となりかねない…いっそ妥協して100均の扇子か?であるが、これまた自分の軸を大いに乱す行為(ホントは欲しくないけど、超妥協して…)になるため、その後の因果関係を考えると、たかが100円を投じたことなのに、毎日扇子であおぐたびに、ひとりウダウダしくじり先生になりそうである。

…と今回の月例会までは思っていたのだが、

もしかしたら意外とひと夏限定使い捨て、と考え割り切り100均扇子購入使用もありなんじゃないか。とちょっと考えたりもする。自分の軸がどうの…と言っているうちに熱射病になってしまってはあまりにもアホすぎる。

100均の扇子を使った事ないのに、ダメと決めつけること自体もよろしくないのである。

 

しつこく月例会視聴記はその3に続く。

わたしが最近超思っていることを「ボラティリティ」なる金融用語を使って表現する件、についてその3、に続く。

 

↓近々試される思考と意思コスト…

ルクルーゼのセールDM…もう十分に皿は十分にある…が色が気に入らないものを入れ替えたい。が、その入れ替えに値する皿はあるのだろうか??そもそも皿は十分あるじゃん。とか。そんなに入れ替えたいなら定価で買うべきじゃん、とか。

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