ひろこの自由研究

まいにち、は自由研究の積み重ね。楽しい日々を過ごすための研究結果の発表場所としてのブログ。

「彼女は安楽死を選んだ」(NHKスペシャル 2019/6/2)

先週NHKで放映されたこの番組(NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」2019/6/2 21時~)の録画してあったものを、内容はなんとなく想像がつく&結果的には想像以上であった)観てしまった…

内容は「小島ミナさん、という多系統萎縮症という難病に50歳くらいに突如侵され、身体がどんどん動かなくなる。最終的には人工呼吸器で生きていくことが将来明らかにわかっている方が、その将来を断つ。安楽死を選ぶ。日本では安楽死は認められていないので、スイスで安楽死する。」という内容なもの。

ご本人、ご本人を支えるお姉さん二人(妹が安楽死を選んだことに対して、認めたくないけど、でも、本人の希望だから。というお考え。)妹さんひとり(安楽死という選択じゃなく、生きることを選んでほしいというお考え。)

そして、別の家族で、同じ病気を持った方だが、人工呼吸器で生きていくことを選んだ方、

な方々が画面では紹介されていた。

 わたしの場合は不治の病、というわけではなかったのだけれども、数年前の出来事を思い出し、ちょっとだけ他の人よりは強く、当事者感を持って、この番組を観てしまった。

 

自らを当てはめますよ・・・

数年前に全身麻酔して、わたしとしては結構一大決心をして病気を治すべく手術を受けたことがある。病気の内容的には「このまま放置しておくと死にませんが、確実に歩けなくなりますよ。」なるものであった。

「死なないけれども、歩けなくなる。」なかなかショッキングな将来である。

手術すれば治ることが分かっていたとはいえ、多少の躊躇はあったし、(まさかの失敗例も手術にはあるらしい…さらに悪化するとか…)今も多少は気を付けることはあるけれども、ほぼほぼ今まで通りの普通の日々を送ることができている。

普通に考えることができて、意思も意志もどっちもある人間が身体の一部が動かなくなり、今まで普通にできたことの一部ができなくなることの恐怖、というのをその時ぞわっと感じたのを、思い出す。

 

…ちょうどロンドンオリンピックの年で、自らの決断を迫られつつも、テレビでぼーっと日本の快進撃を眺めていたのを思い出す。わたしは次のオリンピックを自宅のテレビで見れるんだろか?なる飛躍しすぎたことを思いつつ…

 

番組で紹介されていた小島ミナさんの重たいご本人ならではのひとこと

「身の回りの世話をしてもらって、ありがとう。と思っても、口に出せない気持ちってわかりますか。」(最終的にはしゃべることも困難になる病気なので。)

「ずっと毎日天井ばかり見る生活。ってわかりますか。」

…重い重い…

とくに、ありがとう、感謝の気持ちがあってもそれを伝えることすらできなくなる。ってところが。

 

あまりにも衝撃的すぎる(観ているわたしも、おそらくご本人も)事件

段々と病気が重くなって、小島ミナさんは「自殺」を考えるようになったことが番組で紹介されていた。「わずかに残った体力を振り絞って、部屋にあったハンカチやスカーフを何枚かをつなげてつなげて、紐を作り、それを使って自殺しようと試みた。」

この自殺するためのつなぎ合わせたスカーフを部屋を掃除していたお姉さんたちが見つけて、不安になる。「自殺しちゃうんじゃないか。」と、その不安は的中し、小島ミナさんが自殺を図るが、未遂に終わる。

「わたしには自殺することすらできないんだ…(身体に力が入らない。)」

 

安楽死という選択

このまま生きていてもそれはわたしも苦しい、周りの人も苦しむ。(まるっと書いてしまいましたが、ここまでの決断に至るまでの、番組内容なかなり重い。最終的に安楽死なる選択を考えるようになったのは、病気が重くなった後、転院先となる病院に行って、同じ病気を患い、人工呼吸器で生きていく患者さんを見て、わたしもいずれこうなるのか、と思ったあたりだと思われる。)ということで、安楽死が合法化されているスイスの団体に安楽死希望の旨の申し込みをする。

もう、キーボード打つのも体力的につらいから、すぐにでも。なる言葉を添えて。

そして、ご本人の希望通り、スイスに行って、安楽死を執行する合法的な団体のお医者さんと面談し、厳格な条件も満たした、ということで安楽死が執行された。

(点滴に「死に至る薬剤」が入っていて、自らの意思で点滴をスタートさせると数分以内に安らかに死に至る。という感じだった。)

 

…重い重い…思い、思い、…である。

自分の気持ちを言葉に載せることが出来なかったり、行動で示すことができないという状況下に自らが存ずることになったら、ということを想像してしまった。

生きる希望よりも絶望が勝る世界…

 

このブログではご本人の立場からわたしが慮ることが可能なことを書いてみた。

で、周りのご家族(安楽死を受け入れるお姉さん二人、安楽死を受け入れることができなかった妹さん一人)のことはあまり触れてないんだけれども、「血が繋がった兄弟仲良く」は最後の最後の砦だな。と思った。

 

そして、もう一方の別の家族(安楽死じゃなく生きることを選んだ人)もご本人の希望だから。で病気と対峙していくことになっていることが番組では紹介されており、家族が何かしてくれたことに対して、ありがとう、桜を見て綺麗だね、を、ご自身の気持ちを瞬きひとつで(イエスなら一回、とか決まり事があるようだった。)思いを伝えていた。

身体が動かなくなっても、気持ちを伝える、意思を伝える。という強い思いというのがあるんだな。なることを思い知らされた。